ドラムの成り立ち ~歴史を紐解く~


ドラムの歴史は驚くほど浅く、たった100年ほどの間に様々な進化と発展を遂げてきました。今回はドラムの歴史と成り立ちについて深掘りしていきます。

※和太鼓やティンパニ等を含む広義な意味のドラム(太鼓)ではなく、現代で確立された、ひとまとまりのドラム(ドラムス、ドラムセット)の歴史について紹介します。

・ドラム発祥の地:ニューオーリンズ

 

19世紀末、アメリカ合衆国南部のルイジアナ州ニューオーリンズで、南北戦争が終結し開放されたアフリカ系アメリカ人らの黒人コミュニティにより、西洋音楽とアフリカ音楽が融合した新しい形の音楽として、ジャズが誕生しました。

当時の黒人は自由を得たもののまだ貧しく、高価な楽器を購入するお金はなかった為、敗戦した南軍の音楽隊が残した払い下げの楽器を入手したり、捨てられた楽器を拾って演奏をすることもありました。

ジャズの楽器が、ピアノやドラム、トランペットやサックスなのも、元はと言えば軍隊のマーチングなどに使われていた楽器を流用していたからです。

当時のドラムはまだ「セット」として確立された物ではなく、スネアドラム、バスドラム、シンバル等はそれぞれ独立して演奏されていました。

 

・キックペダルの誕生

 

現代のドラムセットは一般的に、太鼓類と金物類で構成されていますが、前章で話した通り、元々は独立して演奏されていました。そこから現代のドラムセットが形成される過程で重要な役割を果たしたのがキックペダルです。

19世紀末、アメリカ合衆国ニューオーリンズ出身のドラマー、D.D.チャンドラー氏(Edward “Dee Dee” Chandler)が木製のペダルのようなものを考案し、足でバス・ドラムを演奏できるようになりました。

一人のプレイヤーが同時に2つの楽器を演奏できるこの奏法は後に、「ダブル・ドラミング」と呼ばれこの時代に急速に広まりました。

ただし、現代で一般的に使用されているキックペダルの開発と市販化を担ったのは、W.F.ラディック氏(William Friedrich Ludwig)と彼が兄弟と共に設立した「Ludwig Drums」です。

1909年に設立された同社はキックペダルの分野においておそらく最も歴史のあるメーカーです。

※日本語では「ラディック」呼びが一般的ですが、ドイツ語では「ルートヴィヒ」と発音します。

 

・ハイハットシンバルの誕生

 

キックペダルと同じく、現代のドラムセットに欠かせない重要な要素の一つがハイハットシンバルです。ハイハットシンバルの登場はキックペダルの誕生から約10~20年後、1920年代初頭にさかのぼります

ハイハットの初期バージョンは「クレンジャー」と呼ばれ、バス・ドラムのリム(フープ)に取り付けられた小さなシンバルを、キックペダルに取り付けられたアームで叩く簡易的な構造のシンバルでした。

※よく見たら前章で紹介したラディック社製のペダルにもアームの様な物がついていますね。

その後、考案されたのはヒンジで接続された2枚の板の先端内側に小型のシンバルを取り付け、上下に開閉することで音を鳴らす構造のシンバルでした。上部の板がサンダルの様に見えることから、「スノーシューペダル」とも呼ばれていました。

※「Clanger」と「Snowshoepedal」は2023年12月現在、インターネット上に日本語の文献や記事が存在しない為、検索してもヒットしません。調べる際は英語を使用してください。

 

アメリカ合衆国ニューオリンズ出身のドラマーで、後にジャズ・ドラマーの元祖とも呼ばれるベイビー・ドッズ氏(Warren “Baby” Dodds)は、当時最高の若手ドラマーとしての名声を得て、ルイ・アームストロング(ジャズで最も有名な人:トランペット奏者)と共にミシシッピ川を行き来する蒸気船バンドで演奏をしていました。当時のドッズ氏はの演奏中に左足の踵で地面を踏んでリズムを取っていました。

前章で登場した人物、キックペダルを開発・市販化したW.F.ラディック氏は、ドッズ氏の演奏を見るため彼が演奏する蒸気船に訪れ、そこで左足の動きにアイデアを見出しました。ドッズ氏に「踵ではなく爪先でリズムを踏めないか?」と話を持ちかけ、ソック・シンバルを開発し、彼の元へ持って行きました。

※ソック・シンバルは、「ロー・ボーイ」、「ロー・ソック・シンバル」とも呼ばれています。

しかし、ドッズ氏はソックシンバルの誕生に直接関与しているものの、これまで使用していたクレンジャーもソックシンバルも気に入らなかったと語っています。

「Walberg and Auge Drum Company」は、かつてアメリカに存在したドラム製造会社で、当時の低い位置にあったソックシンバルのロッドとチューブを腰の高さまで延長し、手で演奏できるように改良したとされています。つまり、彼らは現代のハイハットシンバルの進化に直接関与し、開発に貢献したメーカーです。W&Aは初期のハイハットスタンドを開発しただけでなく、スローンやスネアスタンド、タムホルダーなど、ドラムに関連する様々なコンポーネントやハードウェアの開発と製造を行い、1920年から1950年までの期間においては、アメリカの多くのメーカーにコンポーネントを供給していました。

 

・標準的なドラムのレイアウト

 

これまでの章では、ドラムセットの中核を成すキックペダルとハイハットの発展に焦点を当ててきました。前章の終わりには、W&Aが革新的なアイデアによって、コンポーネントやハードウェアの分野をリードしてきたことに触れました。では、それ以外の要素であるタムやシンバルについて、どのようにして現在の形、構成に発展してきたのかを見ていきましょう。

ドラムセットが現在のレイアウトとなったのは、おおよそ1900年代半ばから後半にかけての時期です。具体的な時期は流動的であり、変遷する音楽ジャンルの流行や様々なハードウェアの発展によって徐々に”標準的なレイアウト”という共通認識が形成されてきました。

・タム

・シンバル

・構成